[しょうふくていしょかく]
1903年、四代目松鶴に入門。1935年、松鶴を襲名。伝統的な上方落語の血を継ぎ、豪放な風格で大ネタから珍しい噺まで持ちネタが多く、第一人者として活躍。雑誌「上方はなし」の編纂で知られ、戦後の苦難の時代も実子の六代目松鶴、桂米朝ら若手を育て、上方落語界の盟主として奮闘した。1950年、死去。