用語編 し - 笑辞苑

用語編 し

シアターD

ストリップ劇場「道頓堀劇場」のオーナー、矢野浩裕氏が1997年に開場したお笑い専門劇場。関西勢に押され気味になっていた東京のお笑いの復興を目指し、若手芸人の活躍の場として開場した。多くのライブが行われている。

 

渋谷公園通り劇場

1995年、吉本興業が渋谷に開場した劇場。漫才ライブのほか音楽など様々なイベントが行われた。ガレッジセール、ニブンノゴなどが活躍した。1998年、閉館。

 

島之内寄席

1972年から各地で開催されている上方落語協会定席の寄席。

 

下ネタ

体の腰から下の部分にまつわるネタ。下品なネタと見なされる。笑いは生まれやすいが、多用するとヨゴレ芸人と呼ばれる。

 

写術

木村祐一が

シュール

シュールレアリスムの略。シュールレアリスムとは理性での判断を否定し、夢、幻想などの非合理な潜在意識の世界を表現する20世紀の芸術運動。超現実主義。笑いにおいては非現実的なシチュエーションを現実の世界とだぶらせることで笑いを生み出す。よゐこやふかわりょうがこれに当たる。シュールではメジャーになれないといわれる。対義語:ベタ

 

松竹家庭劇

1928年、曽我廼家十吾、渋谷天外らが結成。曽我廼家十吾が座長。1948年、脱退していた渋谷天外の劇団「すぃーとほーむ」と曽我廼家五郎の五郎劇を加え、松竹新喜劇を創設。

 

松竹芸能

笑福亭鶴瓶、オセロ、よゐこ、北野誠、森脇健児、笑福亭鶴光、桂春団治、横山たかしひろし、酒井くにおとおる、ますだおかだ、アメリカザリガニなどが所属する芸能事務所。戦前、戦後と吉本興業と大阪の芸能界を二分してきたが、漫才ブームで水をあけられる。

 

松竹芸能養成所

1968年、松竹芸能が設立したタレント養成所。「お笑いタレントコース」「女優・俳優コース」「司会・レポーターコース」「Jr.タレントコース」の4コースが用意されている。春やすこけいこ、森脇健児、よゐこ、オセロ、ますだおかだ、アメリカザリガニなどを輩出。東京にも開校。

 

松竹新喜劇

1948年、松竹家庭劇に渋谷天外の劇団「すぃーとほーむ」と曽我廼家五郎の五郎劇を加え、創設。笑わせながら、最後には泣き所を持ってくる独特のスタイルで人気に。関西では土曜日の午後にテレビ放映された。曽我廼家十吾、渋谷天外、藤山寛美、曽我廼家五郎八、曽我廼家明蝶など人気俳優を輩出したが、徐々に人気は衰え、藤山寛美亡き後はますます影が薄くなった。

 

ショートコント

短いコント。フリを短く、オチもわかりやすく、コンパクトにまとめる。切れ味が命。「何かやって」といわれたときに便利。フリとオチの勉強になる。

 

笑の会

1976年、秋田実を中心に若手漫才師を育成するために発足した勉強会。1978年、秋田の死を受け、藤本義一が跡を継ぐ。2001年10月に休止。

 

しょっぱい

つまらない、ぐだぐだな様子を表す形容詞。格闘技界でも使う。元々は相撲用語。

 

新喜劇

1931年、新宿に開場した新宿ムーランルージュを中心に展開された新形式の軽演劇運動。1935年には雑誌「新喜劇」が創刊。小市民のつつましい生活の中にユーモアとペーソスを織りまぜたスケッチ風な作品が多い。戦時に衰退したが、戦後、松竹新喜劇や吉本新喜劇が創立された。

 

 

新宿ムーランルージュ

1931年、新宿に開場した軽演劇の劇場。由利徹、佐々十郎、財津一郎らが俳優修行をした。

 

人力舎

シティボーイズやB21スペシャルを輩出した事務所。光浦靖子、北陽、ドランクドラゴン、田上よしえなどが所属。スクールJCAを運営している。

 

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